人生はトランクひとつで――親友という概念


若い頃。

心の底からわかり合える人に出会ったとき、その存在に「親友」という名前をつけたくなった方もいるでしょう。

一方で、「親友」という言葉に、どこか引っかかりや、居心地の悪さを感じてきた人もいるかもしれません。

「親友」と呼べる存在がいないと感じたとき、深い孤独感に触れることがあります。

反対に、「親友」という特別な関係を大切にするあまり、それ以外の人間関係が、どこか希薄に感じられてしまうこともあります。

「一番」でなければ満たされない。そんな感覚が、結果として孤立感や孤独感を強めてしまうこともあるのです。

こうした気持ちは、多くの人が心の中で感じながらも、なかなか言葉にできない「真実」なのかもしれません。

最近、「親友」という言葉を頻繁に使う人について、ネット上で語られているのを目にすることがありました。

その多くは、あまり心地よく受け取られていない印象でした。

それを読んだとき、私はふと「なぜ、この言葉を使いたくなるのだろう」と考えました。

ある意味で「親友」という言葉は、常識や価値観に影響を受けてきた言葉なのかもしれません。

この言葉を持っていることの特別感。安心感。人は人生の中で、自分なりのコンフォートゾーンをつくりあげます。

こうした安心の保険を、オプションのように少しずつ増やしていくのだと思います。

ふと思いました。
人生のコンフォートゾーンという城づくりに力を注ぐ生き方よりも、

トランクひとつで移動している人のほうに、どこか自由で、しなやかな豊かさを感じたのです。

私は、人との距離感に敏感で、一定の距離がないと、疲れてしまうタイプです。

かつてぴったりと重なっていた友人との感性も、時間の経過とともに変化していくのは、自然なこと。

相手の話を聞くことに、どこか無機質さを感じるようになったら、それは、お互いが同じ波にいないというサイン。

「長い関係だから」と無理につながり続けるよりも、その距離の変化を受け入れる方が、むしろ誠実なのだと思います。

関係が変わることは、決してネガティブなことではないです。

お互いの成長の証として、新しい距離感を心地よく受け入れる方が、自然なことだと思います。

人間関係は、選ぶことができます。
誰かの「一番」にならなくても、共鳴し合える人は、ちゃんと存在しています。

いつも自分をフリーな状態にしていることは、相手もフリーな心地よい関係です。

そして、それはたいてい、一人の時間を大切にしてきた人のもとに訪れます。

人生後半の人間関係。「群れない」ことを知っている人は、深く満たされたつながりに出会えるのだと思うのです。

私のオンライン講座では、カードリーディングを通し、心の深いところにある思い癖、パターンに気づくことができます。

ひとりで解決する力が身に付きます。
このカードともう少し若い頃、出会っていたらなあって思います。

▼少し立ち寄ってみてください。

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