自分で選んだ道なのに

暖かな照明の部屋で、ノートパソコンに向かう女性の後ろ姿。デスクに座り、画面を見つめている。




――自分が正しい道にいるかどうかは、「ワクワクしているか」でわかる。

そんな言葉を、よく耳にするようになりました。

ワクワクを基準に進めば、本来の自分に近づいていける。迷ったときにも、心の動きを見れば答えがわかる。とてもわかりやすい基準に思います。

しかし私の場合、好きなことを続けていても、迷う瞬間があります。

好きな仕事のはずなのに、パソコンを開いても手が動かない。心はどこか退屈で、画面を見ることさえ重く感じる。そんな日が何日か続くと、ふと思います。

ワクワクしていない。
この道でいいのだろうか。

大人の夢中は、少し複雑です

子どもの頃は、好きなことに夢中になるのがもっと簡単でした。

評価も、締め切りもありません。うまくできなくても、誰かに見せなくても、ただ面白いから続けていました。

しかし大人になると、好きなことの周りに、いろいろなものがついてきます。

責任
お金
結果
人からの評価

大人の夢中は、子どもの頃とは少し違う場所で息づいているのだと思います。好きだからといって、毎日ワクワクするわけではない。

好きだからこそ、思うような形にできず、苦しくなる日もあります。

問題は、始まりにある


長く続けても結果が出ないと、「自分には合っていないのかもしれない」と考えます。

そこで離れる人もいれば、何度つまずいても、また戻ってくる人もいます。

その違いは、忍耐力だけではないように思うのです。

私は、その人が最初に持っていた「意図」にあるのではないかと考えています。何かを始めるとき、私たちはどんな意識に立っていたのでしょう。

認めてもらいたかったのか。
自分の価値を証明したかったのか。
誰かに勝ちたかったのか。

それとも、心の中に生まれたものを、ただ形にして差し出したかったのか。どの意図が正しくて、どれが間違っているという話ではありません。

しかし、結果が出ないときや、ワクワクが消えたとき、始まりの意図は、その道を続ける理由として残ります。

足りない自分を埋めるために始めたものは、評価が得られなくなると苦しくなります。

一方で、誰かを幸せにするために届けたいという美しい意図から始まったものには、高揚感がなくなったあとにも、静かな力が残ります。

それは、必ず成功するという意味ではありません。休んだほうがいい場合や、やり方を変えたほうがいい場合もあります。役目を終え、手放すものもあるでしょう。

それでも、迷ったときに戻れる場所がある。

ワクワクが消えたときに


ワクワクは、道を選ぶときの一つの感覚です。しかし、いつも同じ強さで続くものではありません。
もし今、自分の道に迷っているなら、

「ワクワクしていますか?」と聞く前に、もう一つだけ確かめてみます。

私は、どんな意図から、この道を歩き始めたのだろう。

そこに、自分を満たすためだけではない、何かを生み出し、手渡す美しい意図があっただろうか。

ワクワクは、その日の心によって姿を変えます。しかし、始まりにあった意図は、迷ったときにも、その道の奥で静かに息づいているのです。

窓辺のテーブルで、白いカップを手に取りながら静かな時間を過ごしている。


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