ワクワクしないと、その道は間違いなの?

夕日を背景に、三脚に設置されたカメラが風景を撮影している。



――自分が正しい道にいるかどうかは、「ワクワクしているか」でわかる。

そんな言葉を、よく耳にするようになりました。初めて聞いたとき、私はその考え方に希望を感じたのです。

ワクワクを基準に進めば、本来の自分に近づいていける。迷ったときにも、心の動きを見れば答えがわかる。とてもわかりやすい基準に思えたのです。

しかし、好きなことを仕事として続けているうちに、私は少し迷うようになりました。

パソコンを開いても、なかなか手が動かない日があります。書きたいと思って始めたはずなのに、画面を見ることさえ重く感じる。

昨日まで楽しみにしていたことを、今日はやりたくない。

わくわくなんてしていない…
この道でいいんだろうか…
そんな考えが、時々よぎるようになっていました。

子どもの頃と、大人の今

夕日に照らされた海面を、穏やかな波がゆっくりとうねっている。


子どもの頃は、好きなことに夢中になるのがもっと簡単でした。

評価もありません。
締め切りもありません。
生活を支える必要もありません。

うまくできなくても、誰かに見せなくても、ただ面白いから続けていました。

しかし、大人になると、好きなことの周りにいろいろなものが加わります。

責任。
お金。
結果。
人からの評価。

だから、大人の夢中が、子どもの頃と同じ形でなくても不思議ではありません。好きだからといって、毎日ワクワクするわけではない。

好きだからこそ、思うようにできないことが苦しくなる日もあるんです。

苦しさには、二つある


もちろん、苦しいことを何でも「成長の途中」と考えればよいわけではありません。

苦しさには、違いがあります。

誰かに認められるためだけに続けている。
人と比べることがやめられない。
本当はもう離れたいのに、やめることが怖い。

そんな苦しさなら、一度立ち止まった方がいいのかもしれません。

しかし、もう一つの苦しさもあります。

思い描いているものに、表現が追いつかない。
何度やっても、納得できる形にならない。
それでも、完全には手放せない。

うまくいかないのに、また戻ってしまう。

この苦しさは、「道を間違えた」というサインではなく、まだ自分の力が追いついていないときに現れる負荷なのかもしれません。

何度でも戻ってしまうもの

窓辺のテーブルで、白いカップを手に取りながら静かな時間を過ごしている。


ワクワクは、始めるきっかけになります。

けれど、長く続ける力は、いつも高揚感の中にあるとは限りません。

少し離れても、また考えてしまうこと。
誰にも頼まれていないのに、気づくと向き合っていること。
うまくいかないのに、再度試してみたくなること。

そこには、ワクワクとは少し違う、引力があります。

もしかすると、本当に大切なものは、いつも心を弾ませてくれるものではなく、何度離れても自分を呼び戻すものなのかもしれません。

「ワクワクしていますか?」ではなく

最近、私は自分への質問を変えました。

「ワクワクしていますか?」ではなく、
「じゃあ、どうしたい?」

疲れている日もあります。
迷う日もあります。
今日は何も決めたくない、という日もあります。

そんな自分を見て、
すぐに「間違っている」と判断はしない。
ただ、今いる場所から、自分に聞いてみる。

「じゃあ、どうしたい?」

続けたいのか。
少し休みたいのか。
やり方を変えたいのか。
それとも、本当に離れたいのか。

答えがすぐに出なくても、その問いを持つことはできます。ワクワクしているかどうかだけでは見えなかった本音が、そこから少しずつ見えてくることがあるんです。

今日、もし自分の道に迷っているなら、一度だけ聞いてみてください。

「じゃあ、どうしたい?」

その答えが、今の自分にとって一番自然な一歩になるかもしれません。

青空を背景に、望遠レンズ付きのカメラを構えて撮影する人物のシルエット。


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