「体がすっきりしない」
「内側の重さを感じる」
「なにかが滞っている」
そういう感覚はあっても、日々を忙しくしていると、自分の体の声を聞くことを忘れてしまうのです。
以前、アーユルヴェーダサロンで施術をしていた頃、私は季節によって、お客様の首元へ触れる方法を変えていました。
夏は、ローズウォーターを含ませた冷たいタオル。
冬は、温めた小豆入りのハーブボウル。
今振り返ると、何かを改善するためというより、その日の体が求める温度を通して、体の中に眠るバランスをとっていたのだと思います。
暑い日に必要だった、内側に戻す冷たさ
夏のお客様は、暑い外からサロンへ入ってこられます。額には汗が浮かび、肩には暑さで力が入っている。
すぐに施術を始めるのではなく、まずは少し落ち着いていただきたいと思っていました。
そこで、ローズウォーターを含ませて冷やしたタオルを、お渡しします。お客様は首の後ろへそれを当てます。ひやりとした感触に、ふっと息を吐かれる方も。
冷性のローズの香りが、ごくわずかに立ち上がる。
まだ外の暑さをまとっていた体が、少しずつ室内の静けさへ移っていく。その冷たさは、体を強く刺激するものではありませんでした。
暑さで広がっていた感覚を、もう一度自分の内側へ戻していくような、短い合図でした。
冬は、温かさが体をほどいていく
冬は反対でした。
厚いコートを脱いでも、首元や肩には外の冷たさが残っています。冷えた体へすぐにオイルを塗るのではなく、まずは温かさを渡したい。
温めた小豆入りのハーブボウルを、首の後ろへゆっくりと置きます。
小豆が持つ、湿り気のあるやわらかな重さ。
じんわりと広がる温かさ。
最初は硬かった肩が、少しずつ下がっていくのが分かることもありました。
温めるという行為は、冷えを追い出すというより、
「もう力を抜いても大丈夫です」と、体へ伝えることに近かったのかもしれません。
心地よい温度は、いつも同じではない
健康によいと聞くと、私たちはひとつの方法を続けようとします。
体を冷やさないほうがいい。
温めることが大切。
冷たい刺激がよい。
けれど、本当に必要な温度は、いつも同じなのでしょうか。
真夏に熱を抱えた体と、冬の朝に冷えきった体では、求めるものが季節によって違うように、
同じ人でも、疲れている日、緊張している日、よく眠れなかった日では、心地よさが微妙に変わります。
昨日は気持ちよかったものが、今日は重く感じることもある。体は、決められた正解どおりには動いてくれません。
だからこそ、その日の状態を確かめることが必要になります。
体を変える前に、体の反応を見る
以前の私は、施術の効果を考えるとき、
「何に働きかけるのか」
「どのような変化が期待できるのか」
という説明を探していました。
けれど、実際のサロンでは、説明より先に、お客様の小さな反応がありました。
冷たいタオルを首から鎖骨に当てた瞬間に、顎を上げ、深く息を吐く。
温かい小豆を首元へ置くと、閉じていた目元がゆるむ。肩に触れる前から、あごの力が抜け、体全体が少し沈んでいく。
その反応を見ながら、温度や時間を調整する。今思えば、その人の体が何を心地よいと感じるのかを、一緒に探す時間でもありました。
暮らしの中でも、同じことができる
特別な道具がなくても、暮らしの中で温度を選ぶことはできます。
暑さが残る日は、冷たいタオルを首元や鎖骨へ短い時間だけ当ててみる。冷えた日は、温かいタオルや湯たんぽを使ってみる。
冷たすぎる。
熱すぎる。
今日は触れたくない。
大切なのは、決められた方法を守ることではなく、自分の反応を置き去りにしないことです。
整えるとは、ちょうどよさを探すこと
冷やすことと、温めること。
どちらが正しいのかではありません。今の自分には、どちらが心地よいのか。どのくらいの温度なら、呼吸がゆっくりになるのか。
ほんの少し立ち止まり、体へ問いかけてみる。
整えるとは、何かを強く変えることではなく、その日の自分に合う「ちょうどよさ」を探すだけでいいのかもしれません。
夏のローズウォーターも、冬の小豆も、体を思いどおりに動かすための道具ではありませんでした。
季節と体の間にある距離を、静かに近づけるためのものでした。


